小泉癸巳男(こいずみ きしお/Koizumi Kishio、1893 – 1945)静岡県出身。大正から昭和時代前期にかけて活躍した日本の版画家。自画自刻自摺(自分で描き、彫り、刷る)を貫いた生粋の版画家として知られる。1918年に日本創作版画協会の創立に参加し、翌1919年に日本版画協会が設立されると主要会員として活動した。風景画を中心に静物や人物風俗画など幅広いテーマで作品を制作し、生涯を通じて創作版画協会展に出品を続けた。特に「昭和大東京百図絵」は代表作として高く評価され、風景版画家としての地位を確立した。木版画一筋で、その技術と芸術性で日本の版画史に大きな足跡を残した。
取扱作品
略歴
1893年6月 | 静岡県静岡市紺屋町に生まれる。 |
1907 | 上京し、日本水彩画会研究所に通い始める。戸張孤雁(とばり こがん)や織田一磨(おだ かずま)に師事し、絵画や版画の基礎を学ぶ。堀越貫一(ほりこし かんいち)のもとで木版彫刻を学び、木版画技術を習得。 |
1918 | 日本創作版画協会の創立に参加し、会員となる。この団体は日本の創作版画運動を推進する重要な組織であり、小泉もその一翼を担う。 |
1919 | 日本創作版画協会の第1回展覧会に出品。以降、定期的に作品を発表し、版画家としての地位を確立し始める。 |
1928 | ライフワークとなる「昭和東京百図絵」の制作を開始。このシリーズは、東京の街並みや人々の暮らしを木版画で描いたもので、後に彼の代表作となる。伝統的な技法を用いつつ、モダンな視点を取り入れた作風が特徴。 |
1930 | 「東京風景」シリーズなど、個別の版画作品を発表。都市化が進む東京の姿を記録し、芸術性と記録性を兼ね備えた作品として評価される。 |
1937 | 日中戦争が勃発し、戦時体制が強まる中でも制作を継続。戦争の影響で資材不足が深刻化するが、可能な限り木版画の創作に取り組む。 |
1940年代初頭 | 「昭和東京百図絵」の制作を進めつつ、戦時中の東京の風景も作品に反映。空襲や戦火による変化を記録する意図も込められる。 |
1945 | 52歳で死去。戦時中の厳しい状況下で生涯を終える。 |
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